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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

随筆 風の路 7

櫻は咲いたが・・・。

 遅い、救援、支援態勢が遅いように思う。今の日本なら四日もあれば完ぺきな支援が出来ていたのではないか。自衛隊を10万人も入れてのこのていたらくなのである。と言う人がいるが、神戸の地震とは規模が違っている。広いのだ。そして政府の対応が遅いのだ。津波という特殊な事情がある。地震だけならそんなに被害が出ていたかどうか、人は津波の恐ろしさを痛感した。何もかもどん欲に飲み込む、まるで人間の欲のような津波に一気に飲み込まれたのだ。そして完全に破壊されたのだ。インフラは、ライフラインは絶たれた。犠牲者は戦後最大になっている。被災者は何十万人になる。そして、原発事故が恐怖を広げた。
 そんな中で一国の総理は正常な精神を失い適切な指揮が行えなくなった。原発事故現場を視察したときに「わたしは原発に詳しい」と嘯いたが中学で学ぶ「臨界はなにか」問う不勉強ぶりである。全く勉強をしていない。大学生の時にはデモに明け暮れ卒業してもフリーターを続け社会運動かを気取っていた。市川房枝さんに拾われて政治の道に志したが、攻められる前に攻める不認識は続いている。気分気まぐれ口から出まかせの逃げ路を造り地位を維持するために汲々としているのだ。市川房枝は何という男を政治の世界に引き込んだのか、この人の見識を疑わざるをえない。菅ほど花のない男も珍しいと言わねばならない。
 人を顔で判断してはいけないと言うが、顔はその人の歴史を物語っている物だ。被災者の人たちの顔の方が遙かにいい顔をしている。彼らは東工大を出ていないが隔世のいい顔なのはどうしてか、苦労の中で培った顔なのである。最初に「ありがとうございます」という言葉はこのような状況下では中々出る物ではないからだ。
 枝野の説明も最初は何とか繕っていたが今では煩わしい物になっている。本当のことを隠して語るとあのように表情もなくいみのないことを同じトーンで語らなくてはならないのだ。フジのアナウンサーがこぼした言葉は不謹慎ではあるがうんざりしている国民の代弁者なのかも知れない。
 櫻の花が咲いたという頼りを耳にしても浮き立つ気持ちは湧いてこない。被災地にはまだ雪が舞っていることを思うと花見という気分にはならないからだ。春は中々来ない、ことしは来ないかも知れないと思う。被災者は花が咲くのを見て少しは心穏やかになるだろうか。花より団子なのである。被災者への対策が遅れている現状にもじっと我慢で待っている、そのねばり強さは必ず復興するであろう意志を見ることが出来る。それを国民が応援しなくてはならない。一人一人が何が出来るかを自らに問いこの歴史的災難を共有しなくてはならない。それが人間としての、日本人して同胞を思いやるつとめではなかろうか。
 そして、この機会に国民は今までの生活を総括しなくてはならない。繁栄だけで果たして良いのか、この國を間違った方へ造ったのではないかという疑問を投げかけなくてはならない。夜になっても煌々と明かりを付けて昼のような町を造りひとときの享楽をむさぼり享受していたのではないかとか、高級なフレンチを食べ他者の苦しみを思う余裕もなく生きていたことが何の人間としての価値を生んだか、日本人の食べ残しで後進国の人たちの命をどれほど救えるのかという心も持たずに傲慢に生きたこと、まだまだ反省することが沢山ないか。いつからこの国の民はそんな優しい心根を忘却したのであろうか、あの戦争のあとの苦しみを通しての屈辱と反省と生き方が間違っていたことをもう気づかなくてはならない。あのときの教訓を子ども達に教えなかった故の大人の罪なのである。食べ物がなく腹を空かしていたその反動でとにかく腹一杯食べたい、そのためには裕福になりたい、そのことばかり考えてこの國の人はあだ花を咲かしてしまっている。先進国への、追いつけ追い越せ所得倍増、家を建て電化製品で満たし車を乗り回し子どもは大学へと言うぞれだけの為に一生懸命に生きたのだが、その生き方はゆとりと、精神的に満足であったのだろうか。何か忘れていたのではないか。特に戦争のあとに産まれた団塊の世代の人たちは自分の為に生きるという概念しかなく、他者を思う慈愛が欠如していたのではないか。退職して優雅に海外旅行に明け暮れ、大きな車を乗り回しているのを見て精神のつたなさを痛感しているのだ。あえて言う、団塊の世代にこの國を本当に優しい思いやりの國に作り替えると言うビジョンのかけらもなかったと。政治家はそのような人により産まれこの國を今の金銭至上主義にしたのだ。国民にその責任のすべてはあるのだと言いたい。
 東電のことは前のスペインの記事を読んでくれた方はおわかりいただけたと思いますが、大企業が弱者を使って成長し維持していたのは事実である。民主主義には差別格差がいる社会なのである。社会主義はもっと酷いそれがある。弱者を常に造っていなくては企業はもたないのである。ホームレス、フリーター、非正規社員がいなくては正社員への牽制がなくなるのだ。いつでも替えがあると言うことを示しもっとやれと尻をたたき、やらなくては首を切られるという考えにさせなくては企業は維持できないのである。
 日本が先進国だという人がいる、重工業に頼っていてはそれが出来ない。いち早く日本は工業国より脱却して軽工業、福祉国家への歩みを造らなくてはならなかった。かつてあった和の精神は人々の心の中にはない。あるのは競争心だけである。今までその精神の荒涼とした世界が続いていたのだ。
 そんな國にも四季の恵みは訪れてくれた。その四季に感謝をしていたであろうか。今生きていることに「ありがとう」という言葉を投げかけていたであろうか。それを当たり前としてその中で生きていたのである。忘れていた物が大きすぎたことに気づかなくてはならない。
 明治維新、戦後の維新、そしてこの震災の維新、過酷に運命に翻弄されて始めて人間は進化するのだ。
 進化する日本を国民がみな心して進化の思いで復興しなくてはならない。
 坂口安吾の「満開の櫻の木の下で」人はその下を歩くとき不安で恐ろしい体験をしなくてはならない。
 それが今かも知れないと・・・。
進化した日本人はそんな花を咲かせなくてはならない、国民の心に開く花を・・・。

わたしの夢は・・・。

波を利用した発電とディーゼル発電と太陽光発電と風力発電を併設した大型の発電船を日本の周辺の海に浮かべる。この船を何隻かもっていると緊急時には利用価値があるのではないか。平時にも発電して電力を供給することは言うまでもない。移動が簡単で広大な土地はいらないし公害もないだろう。わたしは世事に疎いからあるかも知れないが、このような発想が欲しいと思う。今の日本の最新の技術で製造するのである。
 船と言えば私は被災地の海に客船を集結してはどうかと言うことを書いた、船にはあらゆる設備が整っているので最適であると思ったからだが、そのように考える人は少なかったらしい。
 今、被災地の支援物資も潤沢になっていて、被災者に届けられているが政府がやるのではなく宅配業者に丸投げをする、政府や大企業はそれが得意、ことをやっていればもっと早く被災者の手元に届いたはずである。変なところで政府が関わるから遅くなったと言うことを反省すべきである。
 マスメディアの責任、映像が偏っていて真実が見えない物であった、都合の良い画面を撮り自衛隊の真摯な救助活動が流されていなかったことである。海外のメディアは毎日のように被災者と自衛隊の様を蕩々と流し続けていたのだが。
 原発事故の一日後に自衛隊が撮影した映像は何処へ消えたのであろうか。政府はそれを隠しているのだ。隠蔽と言われても仕方がないことである。その体質が国民を不安にしていることに気がつかなくてはならない。
 まだ、枝野の説明は中途半端で責任を取る物ではないことも国民は肌で感じている物なのだ。計画停電という物もかつて柏島原発を停止したときに福島原発も停止したが停電はなかったのにと言う疑惑が生まれているのも確かであろう。原発がなくなれば停電をするのですよと暗に恐喝をしているようにも思われる物だ。政府はそれにまんまと乗って東電管内の人たちを狼狽させ不安におとしめたことは避難をされても仕方がないのだ。一事が万事そのような軽い対応であるから国民から信用されずに都内でガソリンや乾電池や携帯ガスボンベが店頭からなくなるという事態を招き、それが地方まで及んだのである。それは福島茨城の野菜の葉に放射能が付着していると報道したときに出荷制限を出したことで都内に出荷しても全然売れず被災地の農家は疲弊するという事態になった。野菜の検査は根に土の付いている物を測定した物で、洗ったものでなかったことに起因していたことも報告していればある程度のパニックから逃れられた物である。牛乳は食物連鎖があるのでひかえた方が懸命であろう。が、関係ない県の物まで神経質になるのはどうか・・・。風評被害を報道で押さえることは困難である。市場に物を潤沢に出すことしかないのだ。それが政治なのだ。
 水道水も子どもが飲んでは駄目だということで恐怖心を増幅させて水が買い占められる原因にもなった。親の本能である。これは仕方がないことだと思う。が、環境ホルモン、添加物でもっと怖い現実があることを忘れていることも付け加えておきたい。離乳食からの幼児の死亡率は世界一高いと言うこともあることを知らなくてはならない。中国製の食品、原材料を多く食べていることに起因するのだが、政府はそれには寡黙である。事実その方がより多く怖い話である。
 わたしの住む倉敷水島、公害の町にもペットボトルの水は売られていない。単一乾電池もない。地震とは関係ないと思っていた人たちが、準備を始めているのだ。持ち出しと非常食を買っているのだ。群集心理なのである。
 福島県民にとっては使いもしない電力を造るために原発を持つことにしっくりいかないものがあろう。福島県は東北電力のエリアなのである。何で東京電力の原発があるのかと。敦賀、柏島も東電のエリアではない。そこに色々の利害関係と政治の臭いがする。これはまた稿を新たにして書きたい。
 日本人は今回の震災で確かめられることになる。新しい国作りである。この機会に日本人は今までのしがらみを乗り越えて進化し国作りをしなくてはならない。思考の転換がいる。被災地は全く新しい町作りをしなくてはならないし、エネルギーも原発に頼らない次なるエネルギーの開発をしなくてはならない。窓ガラスに埋め込む太陽光発電とか、海の反射熱を集めての発電とか、波の力を利用した発電とか。
 わたしはもう三十年前にある台本で四国の真ん中にトンネルを堀り太平洋の海水と瀬戸内海の海水を入れ替えて瀬戸内海を生け簀にする話を書いたことがある。その頃は瀬戸内海の海水は汚れていて魚のすみかではなくなるのではないかという危惧からの発想であったが、今からでも遅くないように思う。瀬戸内海を生け簀にすれば日本人の魚の蛋白の供給は充分に出来ると思ったのだ。生け簀の海面に筏を組み太陽光発電を波の発電を風力の発電をと思い台詞にしたことを想いだした。あの頃奇想天外な台本になっていたがそれが現実になることを願う。
 進化の発想の転換が今必要なのだ。安部公房の小松左京のあの発想が今こそいるのではないかと思う。わたしが指導者ならSF作家を補佐官にする。
 今の政治家は未来の姿が見えていない。企業家も夢がなさ過ぎるように思う。明治維新の若者は大きな夢を見ていた。出来もしない夢を見て走っていた。今、それが日本人全員にいるのではないか。
 井上ひさしさんの「吉里吉里人」では東北地方を独立国にして日本國の攻撃を受けて立ち、世界の病院にすると言う壮大な小説であった。
 今のもの書きにはそのような物が書けない。爾来文学と政治はお互いに牽制し合いながら国民の幸せを願うべき物であったのだが・・・。

福島第一原子力発電所の高精細写真(エア・フォート・サービスさんが無人飛行機で撮影)オリジナルフルサイズ こちらからダウンロード出来るみたい (11.5MB) http://bit.ly/hfk4Hj

たしか動画が映されていたはずだが、これは公開しないらしい。国民に知らさない方が懸命という判断。まるで尖閣の衝突映像と同じ扱いか・・・。また、誰かが流出してくれることを願うが・・・。歴史の証人としてはあらゆるものを収集している。だが、津波の後の無惨さには目をつむりたくなる。

 菅と言う人は何でも会を作るのが好きなようだ。責任の分散を考えているのか、それでは船頭が多くて話がまとまらないと思うのだが。

 800万円もした防災服は着ないらしい、その金は政党助成金で作ったのか、官房機密費なのか、民主党と名前を入れるのだから議員が買い上げであろうな。いい加減な無駄使いは辞めよう。子ども手当のつなぎ法案を通したのだから政党助成金360億はなしにしてくれ、なぜ貰っていない共産党はやかましく言わないのか、何でも反対の共産党がなぜに子ども手当に賛成したのか、統一地方選のためなら先が読めていない、賛成した民主、国民新党、社民党、共産党は絶対に議席をへらすであろう。子ども手当を貰っている人は選挙に行かないだろうから。国民は出稼ぎに来ている外国人、子供を本国に置いている子供たちに子ども手当を支給する事を理解していない、真意がわからないから反対しているのだ。国民の80%は反対をしている事もその原因か。

 原発事故で日本の食品が放射能汚染されていると勘違いをしているが、その人たちは日本の地図を見たことがないらしい。小さな国だから全域が放射能に汚染されているという考えらしい。

 震災の支援で各国の本当の姿が見えてくる。本気でやっているのはアメリカ、日本の原発を早く終息させなくては反対運動が起こるからとやっきになっている原子力推進国。利害が交錯している。が、フランスとイギリスとアメリカは原発が多い、一番おそれているのは原発の50キロ圏にニーヨークがあるアメリカ、日本の原発事故を簡単に押さえ込まなくてはニーヨークで反対運動が起こるかもしれないのだ。躍起になるのはよくわかるが。それにしてもアメリカ軍の活躍は本物だ。元々事故の原発はアメリカ産、それを東芝と、日立が施工したのだから、40年前にと言う話がある。

 何度も言うが、この震災と津波で崩壊したこの機に日本人は進化しなくてはならない。震災地方の国有化と言うことが話に出ているが、その先、菅の頭の中にはどのように復興するのかと言うビジョンがあるのだろうか。財源はどうするのか、支援物資の偏り、蓮ほうは何をしているのか、ボランティアの取り扱いがどうもスムースではないが辻元は何をしているのか。陸路を整備をするのも重要だが、港をいち早く整備して大きな船が着くようにした方が物資は沢山運べたのではないか、これも政治の失策のように思える。

 じっと待つ被災者の方たちの我慢も限界、今の政府にその限界を超える政策があるのだろうか、疑問です。

 がんばって、希望を捨てないで、その声が空しく響いている。声は喉に詰まっている。

 
 果てしない思いを夢にかえるには歳を取りすぎたか・・・。吉田茂の様に「もう一度老骨にむち打って総理大臣になってこの國のために働こう・・・。」これもわたしにはもう夢なのだ。

東電の体質

 東電は各地にある保養所を被災者に提供する気はないらしい。柏崎の社宅に二十四所帯を受け入れると言うことである。県の仲介が入れば無料だがそれがなかった場合は六千円を取るという、何という会社であろうか。原発事故で頑張っている消防隊、自衛隊の方達は東電の施設の板場で寝起きしているという。あとの部屋は鍵をかけて入らさないらしい。入って汚されたら今度使うときに大変だからと言うのが答えなのである。東北電力は社宅、独身寮、保養所を開放しているというのになんと言うことなのか。東電のことをメディアが書けないのはそれだけ儲けさせて貰っていると言うことらしい。日航、トヨタ、東電と営業広告を出して貰っているということで自粛しているらしい。前記の三社は特に細かいところまでクレームを付けることで有名なのである。喧しいたちの悪い会社なのである。
 福島原発には七号機八号機の原発が設立許可を得ていてそれをこの機に及んでも造るというのだ。県は感情むき出して県民感情を無視していると反発をしているのだが、國が曖昧な態度を取っているらしい。
島根の停止中の三号機は中国電力は再開すると言っているが、ここでももめそうである。今、建設中のの入関原発は反対運動があるが工事を進めると言っている。原発推進派は福島原発のことで国民ながどのように思っているのかということを一切考えないという方針を貫こうとしている。電力は國と計画電力を取り交わしていて政府が曖昧な態度を取るとどんどん原発が造られると言うことなのだ。大企業のエゴである。
 前にも書いたが、東電による計画停電は胡散臭い物のように思える。原発に反対すれば電力の供給が止まり計画停電をしなくてはならなくなり企業の生産に支障来たし、家庭では快適なら生活が出来なくなるのですよという恐喝のように思われて仕方がないのだ。東電管内での節電呼びかけにより五、六千万キロの余剰電力が出来たので計画を中断したのだ。電車の消費電力は二パーセントくらいで全線を普通に走らせてもたいしたことはないのだが、間引き運転をしている。これによって経済が落ちこんんでしまう。政府も計画停電のことはさっぱり分かってなくて東電の言いなりで許可を与えているのだ。したたかである、政府の無策と指導性はゼロなのである。東電は。警察庁、警視庁の天下りの温床である。東電は妨害や嫌がらせに対処するために天下りを受け入れているのだ。前にここに載せたがやくざにホームレスを集めてこさせ原発内の清掃をさせ被曝させているかも知れないのだ。警察とやくざのなれ合いがここにあるのではないか。
 この国難に当たって菅は「これであと2年できるな」と言ったというのである。政治家としても人間としても言っていけないことである。
「臨界」のいみも知らない菅は中学生でも知っていることを知らないのだ。そんな菅が原発の事故対策の指揮を取っているのだからお粗末である。聖徳太子になれとは言わないが、二、三のことを一辺に考えられない様なリーダーでは国民はたまった物ではない。現地視察には百五十人を引き連れて行動するから地元の手薄な警察官では警備が無理なのだが邪魔をしてあらゆる救援に支障を来していることを何も考えない、その脳天気さにはあきれかえる物だ。オバマと電話で会談をしたと言うが本当は挨拶程度であったらしい。これを誇らしげに語る菅はパフォーマンスしか頭にないらしい、それが政府の延命に繋がると思っているのだからいやになる。
 そのことは東電にも言える。福島第二原発は廃棄せずに運転するつもりなのだ。まだ、第一原発の七、八号の推進計画を棄てないというのだから人の命より金儲けが先なのだ。
 危なくない、直ちに影響することはないと言った政治家、学者には、万一放射能によって病人が出た場合には責任を取って貰わなくてはならない。NHKも民放も原発推進学者だけではなく反対学者の意見も聞かなくてはならなかったのだ。東電から研究費と言う名目で金を貰っている学者ばかりを出して東電の都合の良いことばかりを喋らせたメディアにも責任はあることを忘れてはならない。
 そのことで福島県は風評被害で差別が大きくなっていることを憂うしかないのです。防護服も着ずに原発内を走った街宣車の運転手はどれだけ被曝をしたのか、自業自得と言えば言えるのだがなぜ止められなかったのか残念に思う。
 今でも下請けの作業員の人たち、東芝の技師は昼夜を違わずに懸命ら作業をしているだろう。消防隊、自衛隊の人たちは使命として命をがけで張り付いている。東電はそのことを天災だから仕方がないと言う顔で眺めているのだろうか。何回も指導を受け改善をしなかったことにこれから何を言おうとしているのだろう。もう、エリート意識と見下す姿勢は改めても良いのではないか。テレビからはその変わりようがうかがい知れないのだが。補償は誠実に行って欲しいと思っている。

 わたしはここに書いたことが真実起こらないことを願っています。
 決して放射能に汚染されて病気になるようなことがあってはならないと思っています。
 言葉には責任を持って欲しい、人には誠意を持って当たって欲しい。出来ることは何でもして欲しい。それが東電に言いたかったことです。
 
 國破れて山河あり・・・。被災地にもやがて春が来て花が咲き山が萌葱色になびくでしょう。皆様が一日も早く心安らかに、平穏に暮らせるように心より祈っています。


 まだ 櫻の開花を聞かない・・・。

 岡山ではまだ櫻の開花を聞かないが・・・。
 西日本でもこの二、三日放射能が飛来してくるという。風向きが西日本へと吹いてくると言うのだ。これは日本気象学会のものではなく海外の風情報から指摘されたものだ。無論政府のものではない。外国の気象データーから推測し警戒したものである。西日本にきたものが偏西風によって北海道へと回るらしい。と言うことは日本全土に放射能の汚染は広がることになるのか。九州産の野菜から放射能が検出されシンガポールで突っ返されている。微量ではあるが西日本の各地に放射能は降っていることになる。自己防衛のために放射能を通さないマスクとビニールのレインコートとゴム手袋の用意をしなくてはならないのか。
 こんな状態なら花が咲いても花見どころではない。家に閉じこもっているに越したことはない。石原都知事は花見の自粛をしいたが、岡山の倉敷に住んでいても自己防衛本能が働くのだから東京都民はなおさらであろう。一喜一憂して暮らしているのに違いない。年寄りは先がないから良いが嬰児や子どもがいたら神経質になるのは至極当然というものだ。水を海に走ったのは正解なのかも知れない。放射能は足し算だから半減期の前に食べると倍増する。まして、汚染された牛乳や野菜や魚の場合は食物連鎖で濃縮して人に入り内部被曝をする、それは何千倍にふくれあがるなのだ。そのことは環境ホルモンを勉強した時に食物連鎖を知りおののいた経験がある。
 放射能は風に流されて飛来するものだ。風下が危ないのだ。政府も気象庁も風向きを一切発表しないのはなぜか、パニックをおそれているのか。気象庁は報告しているが政府が押さえているらしい。その根拠は風評被害の拡大をおそれているからなのだろう。将来ガンになるというリスクを犠牲にしてである。被曝でガンになった、その頃には菅は石の下であろうから痛く痒くもないと言うことなのだ。今、政権を維持したいと言う願望だけでパフォーマンスを繰り返している。まさに道化役者ある。
 柏崎原発が地震で事故になりかけたときに、菅は「このような事故が起きるのだから政権交代だ」と麻生に言っている。まさに今その言葉は菅が思い出し政権交代を潔くしなくてはならないのだが、もうろくしてすっかり忘れているのだ。人の引き際の大事をこの人は知らない。なぜ、すっから菅をメディアはたたかないのか。
「これであと二年間はやれるな」と震災と原発事故が起きたときに言った言葉を国民に報道しないのか、メディアは菅政府の延命に協力しているとしか思えないのだ。
 昨日、十四歳の少女の素朴な疑問を書いた文章を載せたが、わたしは読んで胸が熱くなった。確かな文章をさりげなく書いて、新聞テレビ、あらゆる検索をして知識を蓄え世間へ疑問を投げかけているのだ。わたしは多くの皆さんに読んで欲しいと思い載せたのです。そこには国民が感じなくてはならない真実が吐露されていたからである。菅の所信演説の様に自分で書けないから劇作家の平田オリザに書いて貰ったものとは大違いで心に入ってくるものであった。その名はB級アイドルの藤波心という芸能人である。
 十日の投票日には東京で原発反対のデモが起こるはずである。今までの物より大きい・・・。そんな言葉がツィッターで飛びかい始めた。時にはいい、やるときはやるんだと立ち上がらなくては駄目だろう。先頭には文化人が立て、足腰鍛えるには絶好のチャンス、日頃嘘八百を書いて食べさせて貰っている恩を返さなくては物書きではない。菅の様にデモの三列目四列目では駄目だ。先頭に立て、警察に捕まって何十日も黙秘して創作の肥やしにしてはどうか。

 ことしの春は寒い、さぞ被災地の皆さんは膝を抱いて震えているのでしょう。政府の不誠実と対策の遅れを非難するではなくじっと待つ根性で寒さと戦っているのでしょう。余震と寒さに震えながらいつかくる春を待っているのでしょう。
 原発事故に関わっておられる作業員の方や消防隊員、自衛隊の方は東電の施設の床で寝袋で休まれているのでしょう。
「星を眺めて何を思っておられるでしょう」
 家に残した妻子達なのでしょうか。
 どうぞ被曝などなさらずにお元気で妻子の元へ帰られることを願います。


何ともやりきれない・・・。

 情報の錯綜に振り回されている方も多かろうと思う。と言うことは政府の会見を信用していないと言うことだろう。
 思うに過ぎたるは及ばざるがことし、ある程度大袈裟に構えている方がいいかもしれない。それが起きなかったら甘んじてそしりを受け、何もなかったことを喜べばいいことなのである。
 日本は震災で被害者になったが原発事故で加害者になった、という。
 つまり地震は天災で原発事故は人災であると言うことなのだ。かつて、わたしは人間が扱えない物を使うべきではないと言った。まさに原発事故はそれである。放射能の中和剤もなくただ水で冷やすことしかないと言うのだから、原始的で技術の進展はなく、良くもそれを安全として公言し使っていたものであると思う。
 わたしが市民運動をしていたときに、原発反対を訴えたのは、非核三原則に抵触するのではないかと言うことだった。核を使って原発を造ると言うことは、直ぐに原子爆弾が造れるからでもあった。「簡単に原子爆弾を造る方法」という本を読んで一層それを感じた。軍事評論家の小山内宏さんが書いていたのだ。それを書いて小山内さんは官憲からマークされたのだ。まあ、実際非核三原則は名ばかりで、持たない、造らない、持ち込ませないは、アメリカの原子力空母で持ち込まれ、原発で持ってしまい、造ってしまっていた。前にも書いたが、原発があれば原爆はいとも簡単に造ることが出来るのだから造らないというのことは詭弁になることで、原発を持つことはつまり核を持つということになるのだが、今でも非核三原則を提唱しているのはおかしくないのだろう。非核三原則は言葉だけになって行ったのだ。言葉のあやで縮小解釈をすれば違反になり、拡大解釈をすれば違反ではないという、不思議な物になっているのだ。
 この二、三日は西日本にも、北海道にも放射能の飛散はあると言う観測データーを発表したのは日本政府ではなく、ドイツ、ノルウェーの気象データーであった。日本政府は気象庁からの風の流れの報告を貰っていながら国民には隠していたのである。意図的であった。風評被害を懸念しての物であろう、国民がパニックになると案じての物かその真意は分からないが情報操作をしたのである。が兵庫県の農産物から放射能が検出されシンガポールで拒否されたことを考えれば、福島原発周囲の県だけの観測だけでは駄目なのではないかと国民は思うようになっている。わたしの住む岡山は兵庫と隣接しているから放射能の汚染はあるかも知れないという疑心暗鬼になるのは当たり前なのだ。
 ツィッターで東電と政府と原子力保安院を徹底的に批判したある女性は流言飛語であると非難囂々であるがそんなことはへのカッパと前より激しく攻撃中である。が、母と京都に疎開、今では九州に逃れている。わたしの行動が無駄であることを願うという。それはソフトバンクの孫さんも、「この原発による国難が無事に何事も無く過ぎて「お前が騒ぎ過ぎた」と批判された時、私は心の底から喜んで辱めを受け入れます。本当に皆と一緒に日本の無事を祝福。私自身の名誉や批判などは、人々の命の尊さと比べる次元のものにあらず」と言っている。
 あくまで危惧であって欲しいと言う願いからの発言であるまだ。言葉だけではない皆様も承知して居るであろうが、百億円を義捐し、将来の役員報酬を寄付するとまで言っているのだ。口先ばかりの政治家や御用学者の言葉より孫さんの言葉がいかに大きく人は信じるであろうか。日本人の金持ちは人間にとって何が大切かが分かっていないようだ。金にすがりそれをステータスにして生きればいいのか、貧しいとしか言えない。情けないと言いたい。
 国会議員は一体何をしているのか、震災復興のために国民から税金を取るなどと言っているが、議員は少しも身を切らないで居る。多少の報酬カットではすまされないのではないか、まずこの際政党助成金三百六十億のカットと政務調査費のカット、議員宿舎を被災者に提供する。まず自らが最初に身を削るべきなのではないか。そうしなくて国民に税の負担を強いるようなことがあっては国民も黙っていないだろう。国会へ押し掛けることになり暴動が起こりかねないのだ。政府は東電の補償の肩代わり、国民の税金を使われたのではたまった物ではない。復興資金として年金機構の金を使うという様な噂も出ているが全く馬鹿に付ける薬はない。これ以上国民を犠牲にしてその場を繕うのご勘弁願いたい。
 放射能の汚染水を海洋に放棄した現実は国際的に信用を失う結果になった。正に、国際的に加害者になったのである。原発事故に関わっている人たちには頭が下がるが、宿舎の廊下で寝起きする忍耐力には、東電の幹部がスイートで寝起きしていることを考えればなんたる扱いかと腹が立ってくる。
 東電の体質は前にここに書いたが、その体質は今でも直っていないのだ。今まで儲けさせて貰ったという恩義でマスメディアは東電のことを書かない。全く情けない、正義も自覚もまったくないと言わざるをえない。東電は人災として今しなくてはならないことをすべきなのだ。被爆者に対する補償である。今までの対応で補償金の拒否が起こっても一軒一軒ドアーを叩き手渡すことなのではあるまいか。市や県に丸投げをしては誠意が見られないのだ。これは東電だけではない、日本の電力会社に共通している体質なのである。
 初動の認識の甘さがこの事故を大きくし事は否めない。
 武田邦彦教授は毎日自らのブログで今どのように考えればいいかを書いておられる。
 わたしは公害闘争をしていたときにPPMでごまかされた。今またシーベルトとベクレルに翻弄されようとしている。空に鳥たちが囀り、河に魚が泳ぎ、作物が育つ事がPPMより遙かに分かり安い。放射能はその鳥や魚をじわじわと殺傷する。それは人間にも通用することではなかろうか。

 悲しいうたが聞こえてくる。
 それは「リンゴのうた」ではない。

 このように書くことが全くの徒労であった欲しいのです。


 分かったことと分からないこと・・・。

 このたびの原発事故で国民は原発の理解を深めたであろうと思う。非常に簡単な装置なのである。原子炉内で水蒸気を造りそれを利用してタービンを回して電力を造るのだ。その原理は蒸気機関車と同じである。だが、放射能が漏れ出したときの手だてはないに等しい事も分かった。これを安全と言うのは早計に過ぎないと思う、放射能の中和剤が出来ていて始めて安全かも知れないという事が出来ると思う。シーベルトとベクレルという基準が判然としないのだ。この言葉は流行語のことしナンバーワンになるかも知れない。
 放射能に汚染された水を海洋に放出したことは東電、保安院、政府に取っての大きな失策であった。まるで海洋汚染テロである。国際的に厳しい裁断が下るであろう。いかほどの補償金を要求されても文句は言えないのである。国家はそれでも持つのかと思う。各国で日本製品の締め出しも見えてきている。確実に経済は畏縮してしまうのだ。厳しい状況が国民を襲う恐れがある。今までのようにのほほんとというわけには行かなくなるであろう。食物は市場から消え、製品も売れなくなってとたんの苦しみが産まれそうである。電力ばかりではない、あらゆる物が足らなくなる、売れなくなるだろうと言うことである。幾ら経済力を保つために消費をしろと号令をかけても国民は守備に入り買うことはしなくなるだろう。みんな日本のある時期を思い出してその窮乏にむかって動くであろう。文明に彩られていた生活が何であったのかと自らに問うであろう。理性ではなく本能で行動し出すであろう。
政府はそんな国民を導く的確な言葉、政策が出来るのであろうか。これからの日本のあり方をみんなに納得させることが出来るのであろうか。政府を信用していなかったら本能で動くのではないか。それが自己防衛なのだ、喩え間違っていてもこの期に理性的に考えて欲しいと言っても無理である。いかに理性が当てにならないかを思い知るであろう。
 被災者の人たちは幾ら家を潰され肉親を亡くしていても生きる活力を持っている目を感じる。戦後がそうであったように生きる方途をそれなりに見つける物である。たとえ政府が無能であっても自らの力で生きる事であろう。人間はそんなに弱い物ではないのだ。自浄作用と同じで再生作用が働くからだ。それは人間の本能の一部なのである。たくましく立ち上がる力を持っていると言うことだ。過酷な自然の采配の前ではくじけても立ち直って行く物だ。が、人災に対しては逃げると言う本能が働くことは否めない。理性と本能のバランスが崩れるのだ。そうなったときには本能が優位に立つ物だ。東京からの脱出をした人は決して理性で逃れようとしたのではない。母や子を思う本能なのである。
 今、枝野は双子の子どもを海外へ避難させたという事が誠しやかに語られている。
 東電はオオカミカがでたオオカミが出たと言っていたがそれが嘘であると言うことが明らかになり始めている。つまり電力不足の停電のことである。計画停電をして原発がなくなったら停電という厳しい現実が起こるのですよと言う恐喝をしていたことなのだ。五千万キロという電力を維持できるという事を発表した。夏場には冷房の影響で範囲を過ぎるであろうが何とかなる数字なのだ。人間はあらゆる状況下の中で工夫をして生きるものなのだ。
 原発事故からもうすぐで一ヶ月になろうとしているが改善の進展はなされたのであろうか。あらゆる手だてを昂じているが芳しくない。次から次へと難問が山積しているのが現状なのだ。関わっている作業員、消防、自衛隊、警官の方達には頭が下がる。が東電の姿勢には天災なのだから仕方がないという開き直りしか見えて来ないのだ。これは人災なのである。手だてを昂じていれば防げた物なのだという認識は全然にない。原子力委員の補強要請を無視し続けていた。保安院とはなあなあの仲で取り合わなかった。独占企業の傲慢な体質がそこにはあったのだ。メディアは莫大な広告主のマイナスになることは書かない。国民に情報を与えることを遮断しているのだ。海外のメディアの報道の方が正確なように思う。国民はそれに飛びついた。たとえば東京を逃げた人たちは外国の報道を元に行動した人たちである
 何もなかったら笑ってくれと言う姿勢を崩していない。それでいいと思う。大袈裟で良いと思っている。逃げられる人は逃げていた方が懸命であると思う。
 「たちまち人体に影響はない」という言葉はいずれ影響が出るという反語なのであると国民は感じているのだ。
いい大人が立ち並んで募金を募っているがそれはどうか。それは売名行為に過ぎないと思う。本当にボランティアをしたいのなら何かの仕事をして稼いだ金を募金箱を入れなくてはならないと思う。五体満足な人は汗して働きそれで得た金を募金箱に入れるべきなのだ。その方が募金は多くなることであろう。何かが間違っているように思う。まあ、そんな軽い考えしか出来ないのが今の日本という國を象徴しているとも言える。それが今の政府を造っているとも言える。
 復興に向けて今までの常識を越えた物づりを考えなくてはならない。日本人の進化である。
 今の現実に対処するには本能で行動するのが正しいと思う。自らの命や生活は自分で守らなくては、全く政府は当てにならないのだから・・・。

 人の様々な心を自然は泰然自若に受け止めてはいるが営みは繰り返し櫻の頼りがちまたを駆けめぐっている。


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